ダブルピース日記~推しに健やかであってほしい~

脳直で物を言う地方在住の半茶の間。2018年は遠征できないので何も口を出す権利がありません

2.5次元の変化に耐えられなかった人へ

お久しぶりです、3月の番ボライブもいけそうに無くて(チケ発すらまだなのに)楽しい事のお知らせが届かないようにファンクラブ解約しそうになったわたしです
それどころか、バスケも日程崩壊(私の日程が)で危ういんだけど。
推しになんかしたかな ただの気持ち悪いオタクってだけだよ。許して
 
ホストちゃんで知り合いの同担さんが入る日に推しよ白スーツになってくれと祈る日々を過ごしています。
あんだけ推してる人が晴れ姿見れないのどうかしてるすぎるんでどうかV2達成して欲しい。祈るだけはさせてくれ。
っていうかおつかいをお願いして(推しグッズが欲しかった!!!!!!)「種類の割りに結構物販買ったなあ」って思ったんですけど全然でした。
ただできることが企画日になけなしのカクテルを投げるくらいなのでこれ以上強く言えない。祈るだけはさせてほしい。
 
 

RTで回ってきたしそんなに長い記事でもなかったから、2.5次元舞台に疲れちゃった匿名さんの記事について考えたよ

読んだ後の結論から言うと、「ははあ、堅い人」って感じです。
 
別に頭がおかしいわけでもババアなわけでもないと思うんですけど、良くも悪くもカテゴライズというか分類がカッチリしすぎている人なんだと感じました。
舞台は舞台!演劇!ミュージカル!みたいな。そしてその仕切り、それぞれの液体が入った仕切りに「ライブ」が浸水してきて怒ってる図が浮かびました。
 
*
刀剣乱舞の舞台の1部:演劇・2部:ライブという構成について意見されていたと思いますが、(こっから先は私のとうら舞台に対する考えだよ)
トライアル公演を見てわたしもアレはびっくらこきました。「別々にやるんか~い!」って。
本編中も歌って踊って(剣舞って言うんですか?布の量がすごいからバッサバッサしてた)、「ミュージカル」として成立していたのでトライアルの今剣のシーンとかは「アアア・・・」ってなりました。
 
 
2.5次元というのは、2次元のキャラを3次元の役者が演じることで2.5、中間に位置するものとして舞台に立つかなり特殊なジャンルで、
人類の歴史の上でもまだ最後の方にでてきた概念なのでこれからも学級会も議論も沢山出てくると思う。
ただこれは人類だって生まれてから数万年くらいは人間の格好にすらなってなかったので、形の無い思考や思想こそ今日明日で解決することでもない。
言語が分けられた時点で、人間が別々の固体である以上人と人が完全にわかりあうことは不可能だし、解釈は無限に産まれていくだろうからしゃあない。
 
「つまらなかった」というコメントも、マジでつまらなかったのか、求めていたものがなかったからつまらないと括ったのか、
「おもしろかった」というコメントも、抱腹絶倒のジェットコースターの面白さだったのか、自分が欲しかったものがそこにあったから面白いと感じたのか、
ここまでで大きく分けて二つ、細分化していくともっと、言語化できない「なんかわからんけどつまらん」「魂が喜んでいる」の領域までいくともはや空気か猫を掴んでいるようなもので、キリがない
 
私は情熱大陸を見た後だからネルケに甘いかもしれないけど、ネルケは「壁」を壊したと思ってる。
2次元を.5増やして肉の器にして、2.5次元、じゃあ触って喋って反応もするよねと思う。
アイドルものであればもはやそれは宗教に近く、程度はあれど形態は「崇拝」とよく似ている。
 
刀剣乱舞は全体的に、自分の「推し」、よく出陣させるメイン運用キャラだったり、とにかく好きなキャラだったり、
観客の事をゲーム中での主人(”さにわ”という)、「あるじ」として扱う以上ご主人様へのファンサは不可避ではないだろうか。
二次創作での前提や風潮などはあるだろうが、こちらは逆輸入があったとしても公式が制作したものなのでそれは加味せず、
刀剣は主人へ信頼と忠誠があり、主人は刀剣にこちらも信頼や愛着がある。と思っている。
 
刀剣男子に舞台用に新しくおべべつくって躍らせて歌わせるってぶっ飛んでんなと思ったけど、そもそも、刀剣乱舞って原作にあんまり進展が無いというか(ごめんね)
ジャンルの皆さんはアニメ始まる前は一体どうやって妄想をしていたんだ・・・?というくらいしか、アニメ漫画のオタクからするとあまりにも情報が少なかったので
(私はあまりの作業ゲーになったのと、推し刀がイラストもボイスも更新されずに放置されっぱなしだったので拗ねてやめました)
逆に「これはこうでなければいけない」という事もなく、「好きなあの子が着替えたぞ、なんて愛らしいんだ」と役者・キャラ、どちらのファンも喜ぶ面が大きかったように思う。
 
2.5次元は普通の舞台ではない。自分がその中にいるから無意識下でスタンダードとなってしまっているだけで、世間一般から見れば2.5舞台は異質だと思う。
世間から見たらコスプレしたイケメンが舞い踊る変態セレブの遊びと思われても文句は言えない。
っていうか常からそう思ってひっそりと生きてる。
 
それを言うと「宝塚はどうなんだ」という話になるけど、2.5舞台というのはまあ近年の造語であり、ざっくりと暴力的に分類すると、
「イケメンに恋する女オタク向け舞台」のようなところがある(当然そういう目線じゃない人も多いよ)
ベルバラとかあそこらへんとはまたちょっと違う。あの歌劇団は世界を空気と水から創造してるから混同して深く考え始めると宝塚の事大好きになっちゃうから一旦置いておく。
それ言ったら「赤と黒」とか「シャーロックホームズ」を舞台にしたって、2.5次元になっちゃう。性格には線の集合体なので1次元かもしれんけどうるせえそこじゃねえ!!
 
 
そもそも新しく生まれたものを、前の時代のカテゴライズに割り振れど、同じ枠に入れて考え、そこからはみ出たからといって、表現の大なり小なりは有れど「異常」とするのは、少々堅すぎるのではないか?
 
「劇場は演劇をするところ」は、深読みかもしれないが、「演劇”のみをするところ”」「演劇以外はしてはいけないところ」=「だから嫌」と私は受取った。
それ言ったらもはや屁理屈だけど、日産スタジアムはサッカーとか以外しちゃいけないし、京セラも、札幌ドームもスポーツ以外はしてはいけない。
しかし、おそらくだがこの人はそこについては許容するのではないだろうか?
内側に立ってみているようで実際は見えない偏見に取り巻かれては入ないだろうか。これは万人に言える。
 
 
というか刀剣乱舞でなくとも、友人伝いで見た老舗2.5舞台「テニミュ」も客席降り、ペンラ、いろんなことやってた気がする。っていうか舞台の上でテニスやってる時点で色々とバグるんだけど
 
「キンプリ」は推しがいたわけでもないし履修ジャンルでもないので見ていないが、あれはアイドルを題材にした舞台だったと思う。
男女の境なく、「アイドル」がいるのならそこにはうちわやキンブレが存在する。ジャニーズでなくとも、ルールなどはあれどまあ大体そうだと思っている。
観客を、「観客役」「視聴者」「傍観者」として扱い、演出の上でこれを観客に求める。これはおかしいことではないと思う。
むしろ「フェス」というタイトルで演劇をされて(not寸劇)、演劇がおまけになるほうが私はやだ
 
上演期間中すべての回で発声可能ならそれは「静かに見たい」ひとをないがしろにするということで問題だし、静かに見たいサイドからすると狂ってる事態かもしれない
でも私の記憶だとこれまで開催された「応援上映」はそれ用に特別に枠が設けられ、感嘆を声にして叫びだしたいが堪えていた人々が解放区として参加している印象がある。
 
どちらかというと少数派の楽しみ方なのでこれはほっといてほしい。私もゴジラに自社ぶっこわされて「弊社ーーーー!!!!」って叫びたい。「内閣ーーーッ!!!」とか叫びたい。
応援上映は何かを受け取って、産まれた感情を共有したい、発散したい人が行くところであり、
普段は黙ってじっとして静か~に見ている観客が本当はどんな反応をしたかったのか、表に出されないまま冷めていった感情にはどんなものがあったのか、
それを制作や上演側が見ることができるwin-winの場となりつつあるとも思う。
 
強要されてそれしか選択肢が無いというわけでもなく、「行きたくなきゃ行かなきゃ良い」という選択肢があるのにそれを超えて文句を言い出すことはどうかなあ
「私は許せない」という話だろうからここまでの文章はきっと見当違いなんだろうな。悪いな。
 
 
2.5舞台でも、アイドルものとか運営側から求められてない限りは(文豪のやつとか黒子のバスケとか?)サイリウムを振る演出自体が存在しない舞台の方が多いのではないだろうか。
 
ケースバイケースなのだ。つまり。
たとえば作品が古典のサロメであっても
サロメが「あの男の首ほしい!!」みたいな事言うシーン(適当)で突然誰かが「サロメがんばれ!!!」といったらそれはおかしい
でも、もしそれがそれが「応援上映」という枠を設けられた回で、サロメが首をお盆に載せたらペンライト振ってください」といわれればそれは振っていいのだ。
 
舞台役者が、客席からの反応が欲しいと思っている、笑ったり泣いたり、感動してほしい、ここまでをレスポンスと思っているのであれば、
客席から自分(役者本人)や自分の演ずるキャラを、登場人物を応援しているということが明確に分かるうちわや歓声、ペンライト(多様ではあるが、主に色の切り替えが可能な物を用いる)
を喜ぶというのは自然なことだと思う。
 
その「いいと思う」という旨のコメントがたとえ表面的なものや場の空気に則っただけのものだったり、制作や観客へのサービスであったとしても、
その役者はこの時代を生き抜くために新しいものに対応できているという事になる。これは役者として重要なことだと思う。「流される」とはまた別の話だ。
 
そんで、記事を読んで色々と考えた。
要するにこの人、オタクが推しキャラにキャーキャー言って推しキャラにファンサされてるのを見るのが嫌なだけなんじゃないの
劇場にうちわもってくんなっていうか、役者側が次元を超えてくのはいいけどオタク側が次元超えてくなって思ってるだけじゃないの
劇場っていう清潔で高潔で気高い空間で汚いオタクは騒がないでくださいって言ってるだけじゃないの
 
 
「舞台用に作られた劇場でライブするな!!音響がクソ!!!」っていう言い分だったら
「おう分かるぞ、アイアの屋根吹っ飛ばそうな。NHKの壁も剥がそう」って言えた。シンヤさんありがとう。
 
「時代に置いて行かれる」という考え方、人それぞれだから否定はしないけど、「置いて行かれる」という受取り方によってはさも時代に非があるような書き方、
「自分が拒否してる」に書き換えたら、もちろんあの記事も最初から「個人の考え」として書かれた記事だったけど、「あ~はいはいこの人個人の話をどうしても人目に出したかったのね」ってまた違う感触になったと思った。
 
人の生き方だから勝手にすりゃいい。楽しいこと探して、嫌なことは解決できるものから解決していったらいい。排除してもいい。
 
この人はラストに「私ひとりがそう嘆いたところで、現実はただそこで今日も光輝きます」と結んでいる
 
そう思っている人は一人ではないと思う。物申す事もこれからもっと多様化するにつれて、個人の発言と発信、拡散が容易になればなるほど大量に出てくる。これは間違いない。
ただ、感じた無常感や違和感、拒否感、嫌悪感を「疲れた」と括ることができたからといって、進んでいくコンテンツのせいにしてはいけない。
しかしこれに対して「受け入れられないのなら離れれば良い」「捨てれば良い」「見なければ良い」と言うのも極端すぎる。
 
自分の知っている頃のものではなくなってしまって寂しいだけかもしれない。「あの頃はよかった」と同義だ。
自分にとって最高の瞬間をちょうどその時にめっちゃサイコーにハッピーに楽しく感じていたのならなおさらだと思う。かなり幸福な時間だと思う。
そこからの「あれ?」は、結構きついものがある。
 
若手俳優界隈の「昔はファンサよかったのに最近は塩」と一緒。
若手俳優だってキャリアと場数が増えれば制約も増えるし、新しくしなければならないことも、してはならないことも増える。
それを、「構ってくれなくなった」と考えるか、「もっと高い場所へ行った」と考えるか、その違いではないだろうか。
 
創作物というのは刺激であり、娯楽であり、滞留するとそこには「飽和」「飽き」「もう見た」が生まれ、衰退していく。この世には面白いものが無限にあるから。
「変質しないものはない」(衰えない人間はいないというのとおなじ)というのを受け入れられない人は特定のものを楽しむということにはつらいことが多く生じると思う。
 
 
2.5次元は素晴らしい。
素晴らしさと同時に問題もある。役者の事だったり、現場環境だったり、ファンの事だったり、制作側のことだったりする。
問題がなければ議論はなく、議論がなければ多くの思考は産まれず、思考がまた形とならなければ発言とはならず、人の腹の中に留まるだけになる。
つまり考えていないのと同じだ。人と人の間に摩擦があり、世界がある。人に知られない思考は空気中に存在しない、無であると同じだ。
 
発言をしたこの人は凄い。ます言語にした。
「こういう考えの人もいる」という事を示した。現場で形にもならない陰口叩いてる奴よりずっと立派だ。
疲れてしまったとのことだが、きっと舞台の良いところは沢山知っているはずだから、自分の求めるものがある娯楽をどんどん見て楽しんで欲しい。
どうせ空想の、作り物の世界なんだから、楽しいことだけを追い求めても良いはずだ。
「疲れた」の中身も、100年くらいかけて考えたらきっともっともっと複雑なことがあるんじゃないかと思う。
この人が「疲れた」で留まり、潰れてしまうことがありませんようにと、ただのいちユーザーでありながら思った
 
 
あと、この記事を読んでいる人に是非見て欲しい「超歌劇 幕末Rock」って舞台があるんですけど、初演、再演、続編、雷舞(らいぶ)で4本だった気がするんですけど(すっとぼけ)
舞台が始まる15分前に前説があって(これがまた見所なので観客の着席が早い)キャストが携帯電話とか飲食の諸注意した上で歌唱指導とペンライト指導した上に
ペンライトを振る箇所をパトランプで色・タイミングともに指示した上で「パトランプが対応しきれないからあとは自己判断で」って言い出し、
登場人物の熱情が高まると衣服が左右にかっこよく安田大サーカスする舞台もあるのでそのDVDを是非見て欲しい。
 
思考して、答えを見つけるタイプの人はそのままであってほしい。
「うるせえここが推し現場だ」というバーサーカータイプの人もそのままであってほしい。
本当は、私も含めて世間がもっと良い意味で無関心になれると良いんだけど、無理な話だね
 
 
難しいこと考えたらお腹が減ったのでおいしいもの食べてDVD見て漫画読んで寝ます。
 
 
あっ、そうだ
神様、お腹痛いときくらいしか信じてないけど、とりあえず推しの現場がある日に休みください。
あとできれば格安の交通機関も。