ダブルピース日記~推しに健やかであってほしい~

脳直で物を言う地方在住の半茶の間。2018年は遠征できないので何も口を出す権利がありません

その同人グッズは大丈夫なのか

その同人グッズは大丈夫なのか
いや、全然大丈夫じゃない。
最近、色々なサービスや原価の全体的な価格が下がり、ロット(発注部数)が小さくなり、入稿形式も簡単になってきている。
思うところがけっこうあるので自戒のためにも記事を書こうとおもう。
このブログは私のブログなので前提として「私の考えである」が付く。これを理解した上で読んで欲しい。
あと考えながら書いちゃうから同じ事ループしてたら教えて。自分じゃ案外気付かないから。
 
前置きとして、二次創作同人活動に「セーフ」はないということを頭に置いてほしい。
二次創作同人活動(ここでは主に現実世界へのなんらかの物品としての産出・製作・頒布のあるなしに関わらず)は、
「公式にお目こぼしいただいている状態」だ。
何故かって言うと、他人の家に入って他人の冷蔵庫の食材を勝手に調理してそれをさらに第三者に提供している図式のため、
「おい、何故うちの冷蔵庫の食材を使って金を取っているんだ」といわれたら一発アウトなのである。
二次創作界隈がコミケとかのお品書きで「販売物」ではなく「頒布物」という、日本語様様な表現をしているかというと、
「利益目的じゃないよ」とそれとなくアッピルするためである。(だと思ってるけど違ったらごめ~んね)
 
一次創作は後述の商標に触れなければ自分が権利者、作者なので「販売」と書いても差し支えないはずだけど、
版権ジャンルとの同日開催や同人界隈全体との調和がてらだったり個人の意向で「頒布」ってなってたりする。
二次創作と一次創作、同じように活動したら痛い目に遭うので考えて行動することが必至だ。どこでもそうか。
 
 
■同人グッズは大丈夫なのか。
同人活動」は、まあ言えば趣味の自費出版、自費製作(自主制作)だと思う。
これは私もやっているいわゆる「創作同人」も該当し、別に物を売らなくても同人活動にあたると思う。
「創作」=「一次創作」、書いた(描いた)本人が作ったキャラクターやストーリーで展開されるもので、権利者は作者自身だ。
これについては何も問題は無い。純粋に一次創作部分のみであるなら、権利者が自分でものを作って発表しているにすぎないからだ。
ただこの場合にも後述の「商標デザインの模倣」が絡んでくるなら別途に注意が必要になる。
 
「二次創作活動」は、同じく趣味の自費出版、自主制作だ。
けど根本から違って、これは前述の「一次創作」を下敷きに、借り物を使った創作活動だ。
要するに権利者以外がその権利物の絵を描いたり話を書いたりして製作するもので、
「権利会社」「制作会社」「版元」「公式(または公式絵師の場合もある)」以外はプロの絵描きがやろうと主婦が趣味でやろうと「二次創作」になる。
当然、目こぼしをいただけない規模で公式の権利や利益を損害するもの、公式の展開や活動を遮るおそれのあるものを作ったりそういった行動をしたりという事はしてはいけない。
 
私個人の解釈となるが、お目こぼし頂いている理由の中には「自分で作っている」も含まれると思っている。描画、執筆という事だ。
同人誌の原稿であれば話を考えて、下書きをしてペン入れをして、仕上げをして自分で手配をして個人レベルでやりとりをしている。
(私は漫画同人誌派だったので例はこれにする)
素材提供されていない画像などのトレース行為、転用行為は当然ダメだ。目で見て模写するのとはワケが違うし、資料として見るのとも違う。
「公式」のデザインも同様だ。
「公式が発表した画像を自分で加工・描画してシルエットにしてグッズにしたので大丈夫です」→まったくもって大丈夫じゃない。
これはトレースであってもそうでなくても大丈夫じゃない。公式が出しているものを模倣してはいけないのだ。
ここの線引きが難しいが、二次創作同人活動において、とにかく公式からなにも引っ張ってきてはいけないのだ。
同人誌やグッズの原稿のために資料集を開いて、それを見てキャラを描いた。これとは違うのだ。
あの子とあの子のイメージカラーがこの色なので、二人をイメージしてクリアファイルをその色にしました。これとも違うのだ。
キャラをシルエット化したものやラインや模様、刺青などのモチーフ「のみ」を使って作られたグッズは、勝手に公式ロゴを印刷して頒布しているのとほぼ同じはないだろうか。
 
■商標デザインの模倣
私が「商標デザイン」って呼んでいるだけなのでこの呼び方が正しいのかはわからん・・・
ここで指したいのは「でふぉめぷち」「きゅんキャラ」「ぺたん娘」「ねんどろいど」「ねそべり」「ジャポニカ学習長」「サンリオとのコラボ」・他などの、
「規定のテンプレートや絵柄が存在し、そこに版権デザインを流し込むタイプの商品」だ。あとニトロプラスのあの人の絵柄。
これは真似してはいけないものたちだ。そのデザイン(固有のテンプレートに値するもの)自体が商標登録されている場合が多い。
そうしたら、そっちも侵害することになる。
上記のグッズを思い出してみてほしい。それぞれのキャラが流し込まれて入るものの、共通のデザインがあるはずだ。
そしてこのテンプレートがあったりして絵柄が固定されているものは、二次創作同人とそうでないものの一番わかりやすい境目である「描き手の絵柄」が消えてしまう。
誰が製作したのか、一見してわからなくなってしまう。
それが故意かそうでないかは本人の自己申告でどうとでもいえるし、第三者の判断にも左右されるし、真偽の確かめようもないかもしれない。
「故意じゃないなら…」となるかもしれないが「いや絶対故意でしょ」ともなるかもしれない。
「このシリーズでこのキャラ出してほしい!」で描いてみるだけなのと、それをグッズに三次元に実現させてしまうのとでは危うさが段違いだ。
最悪、そのつもりはなくても海賊版扱いされてしまうかもしれないという事を考えて欲しい。
 
でも最近は何故か公式のデフォルメグッズが同人臭い絵柄になってたりするから油断ならない。気を引き締めていこう。
 
それから、いろんなアニメグッズを思い浮かべてみてほしい。
すべてのグッズがかきおろし絵柄だろうか?おそらくは違うだろう
キャラのシルエット、既存イラストの加工、キャラを象徴する何らかの模様、柄、紋章、作品ロゴのみ…
数多の作品とグッズはあれど、このパターンは固い。
想像してみてほしい。「明らかに同人グッズ」に見えるものとそうでないもののボーダーラインを。正にいけないボーダーラインだ。
公式と混同(誤解)される恐れのあるグッズは金額をつけて頒布すべきではないのではないだろうか。
最近は滅茶苦茶に絵のうまい絵描きさんや滅茶苦茶にデザインがすごい人、手先が滅茶苦茶器用な人などが滅茶苦茶いっぱいいる。
全体的に昔よりもできることが増えているし、質も高い。
だからこそ作り手も譲り受ける側もそのデザインや内容に気をつけてみるべきではないだろうか。
 
■アウトオブアウトの無許可立体物
同人誌印刷会社の出した「アクリルフィギュア」がちょっとざわついた時があった。ちょっとだけ。
アクリルキーホルダーは平面イラストをアクリル板に印刷したものだ。
アクリルフィギュアは、同じくアクリル板に印刷したものだが、切り離してスタンドにあたるパーツに差し込むとアクリルフィギュアになるという寸法だ。
 
二次創作同人において、立体物の製作はご法度だ。
何故ご法度か、平面とはまた決まりごとがちがうから、としか言いようが無い。
私も正直言ってこの分野は詳しくはないので間違ったことをいう訳にもいかない。
フィギュア版コミケのような感じ(詳細に見ると語弊があるけど)である「ワンフェス」の参加者(ディーラー=作家・販売者)は
ワンフェス開催当日にのみそのフィギュアを販売していいですよ」という許可を申し込んで得ている。
申し込む先は版元だ。版元が「血のりが不適切」とか「露出が多すぎる」とかいろんな理由が出てでダメといったらダメで、とにかく販売はできない。
オリジナルのフィギュアなら、前述の一次創作同人と同じように販売も通販も複製・再販も自由だ。
ただ、版権物はこのワンフェス当日に版権が下りた(許可を得た)もののみしか販売することはできない。
当日に版権が下りても下りなくてもコミケであろうと、通販であろうと、どっかしらでの対面販売であろうと、販売することはできない。
 
従って、この範疇外であるイベントで自作フィギュアや、フィギュアと呼べる程度のものではないとしても、人型でなかったとしても
スケールフィギュア、デフォルメフィギュア、作品中にある風景のヴィネットジオラマ、立体のストラップ(スイングと呼ばれるものでもそうでなくても)、こけし、起き上がりこぼし、
とにかく平面を脱してしまったもの、これらは一切頒布することができない。
やわらかく言えば「望ましくない」、はっきり言うと「するな」の一言になる。
一部では「手作りアクセサリー」に苦言が出たりしたので、立体は立体でも実際難しいラインだ。
 
個人の作品として製作するのは悪くないはずだ。悪くないと思う。
そういうのはどんどん見たいし、是非見せて欲しい。自分には作れないものだから尚更だ。
でも版権を得ていない限り、販売しちゃいけないのだ。
 
■一旦ストップ、大丈夫かそれ(大丈夫じゃない)
ここまでで同人活動の危なさと必要な警戒について話してきたつもりだけど、伝わっているだろうか。
あともう一つ、これは個人的な話だ。
公式のデザインに似すぎている同人物は公式の芽を潰すかもしれない」という話をしたい。
Aという会社から出ているBというキャラがに刺青があったとする
Aという会社はBをグッズにする権利を持っていて、公式グッズも展開されていたとする。
しかしファンがそのBの刺青のデザインをそのまま転用(そのまんまかトレスどっちでも)か、模倣して二次創作同人活動としてグッズを作って価格をつけ、頒布したとする。
そうすると、もしかすると公式はそのグッズを製作できなくなるのではないだろうか?
 
ファン発案のものを「おっ このアイデアはいいぞ。商品化させてもらえないだろうか」というケースも勿論あるだろう。それは嬉しい。
(でもここで「公式に採用された!」という盛り上がりを超えて大きな振舞いをするファンも居る為注意してほしい)
ただ、逆に「詳細なデザインを描いたり使われたりすると商品化できなくなる」という可能性はないだろうか?
ファンが製作したものを「ありがとう!」と受け取って楽しくやってくれる企業もあるかもしれない。
ただ、そうじゃない企業もある。「所変われば」を忘れてはいけないのだ。
 
「こういうのが欲しい!」と考えを出すのはいいかもしれないが、公式が出した図案や紋様、公式と類似するまたはそのままのシルエット、キャラモチーフ、
そのまま使って頒布して本当に大丈夫なのか。打ち出す前に考えて欲しい。
まあそのまんまは当然ダメなんだけどさ、一切なにも考えないよりはいいじゃん。
 
「ファンメイド」と「海賊版」は紙一重だ。
ファン同士では「あの人が作った同人グッズね」で済むかもしれないが、悪意があろうと無かろうと何もしらない第三者が「これは公式グッズ」と思ってしまうかもしれないし、
「公式グッズです」と他所で売りに出してしまうかもしれない。
「世に出た時点で作品は自分のものではなくなる」という話もある
しかし作ったのは作った人本人である。これは揺るぎようが無い事実だ。
 
ファンが細々と楽しくやっているからいいじゃん、では許されない場合というのはいつか出てくる。
ガイドライン同人活動自体を取り締まる作品というのもある。
詳細なガイドラインを出して「許可を取ればOK」「大きな利益が出なければOK」「この媒体はダメだけどこっちはOK」などという許容範囲を明確に示してくれている企業もある。
ただ、それは「その企業が」出したガイドラインであって、同企業でも作品が変われば規約が変わるかもしれない。他社は根本から違うかもしれない。
趣味でも商業的なものでも、作ったからには責任を持たないといけないということを忘れては居ないだろうか。
 
あと活動に関して言うのであれば、ケチが付くよね。「あの人はアレをやった人だよ」って
公式の画像をそのまま使ったり、トレパクしたり、自覚無自覚関係無しに炎上してるよね。まとめとか作られるし。
そういうのっていつまでも、どこまでも付いて来るよ。
好きな作品と同士と楽しくやって行きたいなら活動には気をつけるべきでは?
 
私はいつも自分でも自覚する程度には大げさに話をする。
でも、他人の権利物を使って遊ぶ、楽しむというのはそれくらい気をつけなきゃいけないことなのだ。
そして同時に、「寛容な界隈」を見た人が他所で同じような感覚で活動してしまわないかという事も畏れている。
 
二次創作同人は「公式」の寛容と見てみぬふりで楽しませて頂いている。
実際、「この人があなたの会社のキャラでこんなにスケベな絵を描いてましたよ!!!」と公式に通報された所で、公式も困るだろう。 
無視すれば「許している」ととられるし、取り締まってもキリがないしロクなことがない。
 
公式とお互いは不干渉、これが一番ではないだろうか。
「距離が近くて親しみやすい」「ファン活動を喜んでくれる」とは別のお話だ。
「公式よファンを無視しろ」という訳ではない。何かを作って発表するだけのエネルギーのあるファンがいるというわかりやすいパラメータでもあるだろうし。
ファンの中で流行したネタを公式が取り入れたとて、「ファンに媚を売るな」と言うわけでもない。ちょっとビビるけど。
ただ、「仲良し」と「フレンドリー」それから「なれなれしい」、「親切」と「過干渉」、「積極的に触れ合ってくれる」と「介入せざるをえない状態」のラインを見誤ってはいけない。
どれだけ公式との距離が近かろうと、昔からのファンであろうと、勘違いしてはならない線はある。「顧客」なのだ。あくまでも。「友達」ではない。
 
ここまで、「ものを作るな」「活動するな」という話ではない。
出来ることが増えて、ハードルが下がる。
道具が便利になって、安く流通する。
そうすれば多くの人の手に渡って発展していくが、それをちゃんと扱える人の手元にばかりあるものではない。
ハサミや包丁が金物屋で買う鋼の塊だった時とは違って、今はダイソーで108円を払うとどっちも誰にでも入手できる。そんな感じ
「料理をしてみたかったが道具が高くて手が出せなかった。ここで買えて助かった」という人もいれば
「包丁が簡単に手に入った」と思うだけの人、そして簡単に手に入ったもので誰かを傷つける人だっている。
 
自分は大丈夫、でももし大丈夫じゃない人がいたら?
意思がどうであれそういうのはどこにだって絶対にいるものなのだ
教えて理解してくれる人も、教えられて理解できない、しない人も、教えられたけど理解したけどわかってくれない人も居る。
子供でもしっかりと判断して自分で考えたり調べたりできる人も居るし、やらかしてしまったらごめんなさいが出来る人もいる。
いい歳した大人でも誰かに何かを与えられる、教えられるのをずっと待っていて、なにかあれば「知らなかったから」で収束ではなく風化か誰かがやってくれるのを待つだけの奴も居る
常に考えて活動しなければならない。そんなもんの巻き添えを食って楽しい事を取り上げられるのはごめんだ。
私だってびっくりしている。
学校で先生に教えられずとも、他者の領域に入る時はそれについて程度はともかく自分で調べるものだと思っていたから。
 
二次創作者が立っているのは地盤や地面の上ではない。
公式はお釈迦様、活動できているのは蜘蛛の糸のおかげ。蓮の葉に登れる事はなく、糸を切られたら終わりなのだ。
公式を困らせず、自分たちも楽しく、やっていけたら一番いい。そう思った。