ダブルピース日記~推しに健やかであってほしい~

脳直で物を言う地方在住の半茶の間。2018年は遠征できないので何も口を出す権利がありません

レッツゴー茶の間



あれ、と思う。”茶の間”って差別用語だったのか…と。

 

 

推したる俳優を見つけてから2年ほど、推しのツイッターを凝視しチケット取りに奔走し飛行機をぶっとばして観劇していた。
しかしそれももう遠い昔、昨年と今年は「茶の間」を決め込んでいる。
色々と強いられる事に疲れたので別の事(人生の立て直し)を優先させて、今も以前のように通おうとかそういう計画はしていない。
抽選申し込みをしたものの予定の調整が叶わず、可能であった場合には無念と流したチケットも人に渡したチケットもある。
推しの個イベなんかもう当たったのに、当たったのに 当たったんだよ 当たったつってんだチクショー!!(同担さんに託した)
推しがフリートークしたり歌ったり推しパネルがあったって聞いてエーンエーンと声を上げて泣くところだった。いい大人なのに。


それはそうと昨日かおとといにおめでたのニュースが出た。某グループの元アイドルと2.5中心の若手俳優が結婚した。
デキ婚という見出しが大きいが、自分はただの一般人なのでニュースや公式発表以外の情報はしらない。
しかしながら、共演きっかけというのは公に向けての説明用かもな、関係者はとっくに知ってただろうな、
発表している事が全てじゃないだろうな、などと思いながら報道を眺めていた。
セーラー服と教室が良く似合っていた女の子が仕事でなくウェディングドレスを着るかもしれないとなると、部外者ながらドキドキした。

一方でファンの皆様が取り乱されているのは間違いない。私にはその心中をお察しすることは不可能だ。他人事をまた他人事として聞いて欲しい。
みんなの物として共有していた人が、自分(もしくはファン)以外の一人を決定的に愛しているという姿に耐えきる事ができるという方が珍しいと思う。
自分が推しに流していた金がほかの女の為に使われていたと考える人はなおきついのではという事象だ。
私は推しを、こちらを見る事も記憶することもないが収益があり手入れが届いていれば長く展示される、絵画のような物だと思っている。
私のこれも、他人の嘆きも、多様な尺度の中では通る考えでもあるし、同じ背景を明日は我が身と思えばヒスはギリギリ起こさずとも「ヒー・・・」とはなる。

これに関してはこの二人は「知ってるぞその名前」という程度なので掘り下げないが、この関連のまとめやトレンドで、
「茶の間は黙ってろ」という旨の言葉を見た。
「なんじゃらほい」と思った。

*
雑に説明すると、「茶の間」というのは推しをご自宅で楽しんでいる人らの事だ。
「自分は会場に行くほどではないから」という人から「どうしてもいけない、家から離れられない」「現場は怖い」まで色々と内包している層だと思う。

定義やルールはなく、そこがまた厄介だと思う。

 

しかし思う。「茶の間」って言葉はほとんど差別的に使われているのだなと。
私はてっきり「自宅で見る派」くらいな使い方だと思っていたが、案外厳しい使い方をされている。バカにしているも同然のツイートも散見された。
「現場に来ないでファンを気取る連中」くらいの扱いをされていて驚いた。
「そういう意図はない」と言いたい人は自分がどういう場面で使っているのかを振り返ってほしい。
「事実じゃん」と言いたければ、言葉自体を都合よく使っていることに気づいて欲しい。
誰が決めたか分からない言葉なのでどれもが正解でどれもが不正解だと思う。仕方がないが、仕方がないとは言いたくない。

 

「貢ぎ」というビジネスモデルが確立しているがゆえのジレンマかもしれない。
貢ぎシステムが通っている現場のある界隈では、より多くの金額を推しに支払い、より多く時間を使った人間が偉いらしい。
確かに推しが活動を続けるためには収益が必要であり、慈善事業ではないので収益が見込めない商品を延々と置き続けたりもしないだろう。
そこで生き続けるための実際に販売実績や動員実績を作っているのだ。間違いなく貢献しているといって何の差し障りもない。

 

一方で茶の間に分類されている人らは、現場に臨場していないという部分で物販を当日にぶん回したり特典の為に積んだりということはできない。
確かに必然的に、使う金額やそれの変動の自由さは現場に行って支払える人間の方が多大きい。これもまた間違いない事だ。

 

けどそれを「金も落としてない人間が意見をするな」と、黙らせる口実にしているように思えてならない。
「映像も観てないし現場にもいないのに語るな黙ってろ」ならわかる。
肝心要の推しの仕事を見ずにその魅力を語っている人間は推しの本業に対する侮辱も同然なので顔ファン以前の問題だろう。
知ったかぶり、フカし、ビッグマウスなどは論外だ。現場の話が出来るのは現場に行った人間だけいうのもわかる。

しかしながら茶の間というだけで虐げられすぎてやいないかとも思う。「ファンの資格なし」とでも言いたのだろうかと。
好きだという気持ちは課金額が少なければ口にすることすら許されないらしい。そう見える。

*
「ファンの資格」をザ・テレビジョンの真ん中らへんによく挟まってるユーキャンで探してみたけどあるわけない。
どうやら運営が発行しているわけでもないらしい。国家資格でもないらしい。ファンクラブの金・銀・銅ともまた違うらしい。
でも多額の現金を収めたうえでないとファンと名乗ってはいけないらしく、それ無しに「推し」と口にすれば四方から竹ヤリで突かれてルーマニア国境に晒されるという話だ。(そんなことはない)

資格や認定、常に他人からの許しを求めすぎているという視点もある。この界隈に限ったことではないので風土病のようなものだと感じている。

 

ただ、問題行動を起こしたり諸々を憚らぬ行動をするファンは人にそういったランク付けなどを激しくする一方で、
自分の事には病的なまでに無神経なように見える。気にした方がいい人こそ気にしないのだ。
すべてが壊れ物であることを理解して大切に扱っているファンこそ、過敏なまでに「自分は大丈夫だろうか」と周囲を見渡したりしがちである。
誰かに訊ねて、「大丈夫だよ」と言われれば安心できるという局面は人生の内に何度でもあるはずだ。なのでそれもよくわかる。
ただ誰かを好きでいるというだけでなぜこんな不安やストレスが生まれているのかが理解できない。

 

現場ではなく映像媒体を選ぶ、映像媒体をメインとして楽しむ、
そんな人を蔑みの意味で「茶の間」と呼んで捨てる人間が存在する以上は、若手俳優・アイドル、どの界隈のファンの行儀良さや
印象の平均値は一切向上しないと思う。

 

何万、何十万、それ以上を落とす太客の財布も、石油王からすれば小銭入れかもしれないのに
いつからファンがファンを品定めし、選別し、マウンティングし、自分のペースで楽しんでいる人を無自覚に苦しめる事が当然になったのだろうか。
良識ある人は人に発行元不明の資格やヒエラルキーでの位置確認を押し付けたり同調を強いたりはしないのではなかろうか。
良識を失った人間の声はなぜかいつも無駄に大きく、その声のでかさゆえに善良な人々を委縮させているのではなかろうか。
自分だけが楽しければいい、で続けた先には何が残るのだろうか。

 

ガンガンに全通してた時と、一切臨場できていない時期、それ以前のそもそも収入がなくグッズ購入もできず県外にすら行けなかった時期、それぞれを通って来ている。
そのため視点がふらついているのが自分でもわかるが、とにかくやりきれない。

 

この国だけでも南北にバカでかく、億通りの人生がある。
フカしや虚偽、違法視聴や無銭でリプライにのみ励み認知を狙う奴は別として、
好きな物(人)が今も元気に活動していたり存在している人は
他人と自分を比較したり他人を比較しなきゃ自分を持ち上げられない人間なんか無視して楽しく過ごして欲しい。
そなたは森、わたしはたたら場、十年以上前にもうその考えは世に出ている。

 

難しい事だと思う。簡単な事であれば私なんかに言われなくてもすでに出来ているだろう。
双方、腹が立つ事も多いだろうが、もっとファン同士に無関心になればいいのにと思う。
好きな物の話をしたくてもファン同士で作った勝手な壁に阻まれ、逐一様々な感情や言葉に晒されなければならないのは悲しい。
推しに対する好きという感情だけ持っていればいいはずなのになんでこうなってるんだろうか。


自分から「茶の間」と言っている方々は「現場いけないけどここで見てるよ~」という感じだろうなと勝手に思っていた。
静かに推しと向き合える空間を自分で確保できるというのは、かなりの贅沢なのではとも思う。
体調を崩して、今も原稿が完全にストップしている。思わしくない体調が続いているからこそより思う。
現場への臨場は、自由にできる現金(及び支払い能力)、終日まで持つ体力、確約された休日…
ほかいくつかの要素が全てではなくともある程度揃っていなければ無理なのだ。


そして自分が現場から遠のいてから、「でもやっぱ生で見た方が…」と思っていたそのスタイルにいいところをみつけてしまった。

DVDを入手するまでの期間におあずけを食らうのは辛抱するしかないところだが、とにかく自分の都合に合わせる事ができる。
仕事で精神がクソほど擦り切れていて「今なんていったかわからなかった」なんていうのも巻き戻しが利く。
水分摂取(私は水分が抜けやすいので二時間の断水は死活問題なんだ)も、尿意も、体調が思わしくない時のアクシデントも、
「もしかしたら」「万が一」なんて不安もなく誰にも迷惑を掛けずに気楽に推しの作品を楽しむことができる。
家からなかなか離れられない人なんかはそれ自体にある不安がそもそも無い状態で鑑賞できるのではないだろうか。
時間がギリギリということも駆け込みももちろんないので誰かの前を横切ったりドタバタすることなんか一切ない。

加えて、ファン由来の不愉快さとも無縁になれる。
キャストが冒頭で言っても聞かないスマホの電源、アラーム、着信。
じっとしていられなさすぎる奴による物音や体の動き、視界を遮られる事もない。
禁止されているはずの飲食もないし。自分は自宅にいるので飯を食いながら見てもよい。
(余談だが、隣の席の客が上演中に思いっきり水筒から水を飲んで「駄目っすよ!」って言ったら「良い良い!大丈夫!」と言われて帰宅後に即ブロックした事がある)
咳払いも連番している人らのお友達同士の無神経なおしゃべりも、推しへのアピールも見えも聞こえてもこない。

もちろん、現場へ行けるなら行きたい。しかし快適すぎた。私は演劇が見たいので、この上なく集中出来て嬉しく思った。
クソ~!!こういう楽しみもあるんじゃん~~~~~!!!って

 

推しのファンである以上は人の不幸や事件を喜べる人間にも、誰かを見下す人間にもなりたくない。
それができる人間がファンにいるとは思われたくない。
何かを下げないと何かを自慢できないような人間にもなりたくない。
自分が上がっていけば周囲は勝手に下がっていくのに、そうしないと上にすら行けない人なのかと悲しくなる。


ほんの短い期間通っていた人間の事など推しの記憶に残っていなくて当然なので、認知願望や貢ぎ金額を気にしたことはないが、
ちょっと本当にあんまりだと思う。
現茶の間であろうが臨場してようが、上のような流れがあって、それが他界隈に漏れたりして、推しが把握していないところで推しの評判をひとかけらでも落としたくはない。
ええかっこしいだとか、偽善だとか、なんと言われようが構わない。


憎むべきは無課金、円盤すら買わない、執拗なまでの無課金や公式への直接支払いなくお安く済ませてキラキラ推し生活を演出している連中と、
「●●だからいけないけど応援してます」という意味不明な「じゃあ仕方ないね」と思われたいのかというリプライを飛ばす連中ではないだろうか。
あと引退のお知らせした途端に「好きでした」っていう連中ではないだろうか。活動してるときに言ってやれよ。

 

お茶の間で円盤を見て「推しやっぱいいなあ」と思ってる人には「その推し、現場だと汗の一筋までキラキラしていてより輝いてるぜ」と言いたい。
自分は現場には行かなくていいかな…円盤で…と思ってる人には、「円盤を正規で買ってるから最高じゃん…」と言いたい

 

時間を割いて、お金を使って何かに真剣に打ち込めるなんて、オタク界隈では珍しくないかもしれないがかなり難しい事だ。すごい事だ。
私はそのすごいを、素直にすごいと言いたい。

 

このブログに国語力を求めて読む方が間違っているので、この記事も思いついたままで投稿しようと思う。
楽しいオタクライフ、遮っていいのは冠婚葬祭と天変地異だけよ。(遮らないで欲しいけど)