ダブルピース日記~推しに健やかであってほしい~

脳直で物を言う地方在住の半茶の間。2018年は遠征できないので何も口を出す権利がありません

仮面ライダージオウ Over Quartzerを見に行っておじさん号泣の巻

■この記事はネタバレ、魂の叫びなので文脈や細かいことを気にする人やまだ見ていない人、心が悪い意味でキッズの人には閲覧をご遠慮いただきたく思います。

 

仮面ライダージオウの履修率30%程度の人間が勢いで映画を見に行って不意打ちと諸々で涙した話です。

 

 

 

ジオウ、それは平成ライダーに終止符…ではなく、もうなんか総まとめのような作品だ。
ちなみに私の履修率は30%程度、今回はそれを前提として感想を書こうと思う。

しかし履修30%とはいえ平成生まれ平成育ち、前半のライダーはだいたい友達(ではない)として育った。
うちの親は「らしくしなさい」と一切言わない親だったので、元気よく仮面ライダーを見て育ち、龍騎で「人は死ぬ時にゃ死ぬ」と学び、響鬼で「ニチアサは尻OK」と学び、電王で泣き笑いした子供時代であった。
推しライダーは「電王」の仮面ライダーゼロノス、みんなの彦星こと桜井侑斗だ。
私ももう成人、行動範囲が広がり財力も雀の涙なりにどうにかなり、まずいことに今でもソフビをどこそこで見かければ購入してしまう。
ちなみにgoogleで「桜井侑斗」と検索すると「架空のキャラクター」と出てくるので「桜井侑斗は”居る”んだよ!!!!」と私と一緒に絶叫して欲しい。


失礼、話が逸れました。

前日が所要の検査でぐったりしていたものの、なんの天啓か通常の休日よりも早い時間に目覚め、ウーン?寝なおすか…
と思ったところで、「ライダー行かなくてええんか」と脳内の大阪のおばちゃんが話しかけてきた。
この大阪のおばちゃんは正体は不明だか、「玄関の鍵もっとるん?」「後ろからチャリの音すんで」などと教えてくれる私のスタンドだ。
こう書くとヤバイ人だが、けっこうマジだし割と助かってる頻度がシャレにならないのであえて書かせてもらう。

脳内の大阪のおばちゃんに従って最寄り映画館のスケジュールを見ると、一時間後に上映があった。
そしておばちゃんはもう一度ささやく。「あんた、今月のまともな休み今日だけやろ」。今度はシフトを見た。そうだ。
そして私は握り飯片手に家を飛び出し、久方ぶりのライダー映画へ飛び込んだ。

*
そもそもキッズは保護者が居ないと行動できないので、平日午前中は穴場だった。
入場特典をもらい、劇場のど真ん中を陣取り、上映を待つ。
わくわくのあまり早くに端末の電源を切りすぎたので特典開封などする。主人公が出て思わずニッコリだ。

ところがこの上映がなかなか波乱だった。いうほどでもないかもしれないが、要するにトラブルがあった。
まず予告編の時点で会員カードのCMが止まり、そのあとに同じ予告が二度流れた。
まあこういう事もあるでしょ、と気にしなかったものの、本編終盤にもトラブルが起きてしまった。
ネタバレ記事なのでもう書いちゃうけど、2007年(電王)などこう、摩崖仏フォーム(私がそう呼んでるだけ)から出して
仮面ライダーISSAに横なぎに倒されるあの「平成ライダーが通用しない!!!」のシーン、あそこで画面が真っ暗に、
音声だけが流れるようになってしまった。できるだけ先を知りたくない。映像付きで見たい。耳をふさいだ。
しかし待てども回復しない。もうたまらんと劇場を転がり出て係員さんにウオオオン映像が流れんそしてあわよくば10分ほど巻き戻してくれと訴えた。なんか偉いっぽい人が出てきて10分ほど巻き戻して再開した。
10分はちょっと巻き戻しすぎ感があったが、これからクライマックスですよ!という流れのシーンを二度見れたのでトラブルなんてどうでもよくなった。機材の都合に振り回されて頭を下げる映画館の人、それも仕事だろうけど大変だなと思った。

*
さて、それは思い出の一個として置いておいて、本編本編。
平成ライダー後半戦は自分が学生でなくなったという事や放送時間自体の変更もありあまり深く知らない。
ジオウは歴代ライダーが出てくるとのことで都合が合えばちょこちょこ見ていた。いつのまにかゲイツがデレていてたまげた記憶がある。
いわば過去のものであるライダーたちが受肉して現代で動いているだけでうれしいのだ。オタクはちょろい。
色々すっとばして言わせてもらう。心に「かつて少年だったおじさん」が住んでいる人は泣く。
前半戦の香木を嗅いで映像的にヤバいキまり方をしてそうなウォズと普通にマフラーを燃やされているウォズも見どころだが、
もうなんか、心のおじさんがソフビを抱いて泣いている。大好きだった龍騎を抱いて泣いている。


そして彼がやってくる。
仮面ライダーという物は、地上波放映の面子だけではない。
ネット配信、劇場版のみ、スペシャル版のみ、公認ではあるが本筋ではない、非公式・非公認ライダーも居る。
やってくるというか、まあ最初からその空間に居たらしいんだけど、
仮面ノリダーがいた。木梨猛だ。
前情報なしで見に来たのでこれには度肝を抜かれてしまった。

ご存じでない方はこの事件性がよくわからないと思うが、「仮面ノリダー」は当然ながら非公認も非公認、
いやもう非公式どころではない幻の仮面ライダーだ。鼻の穴が歴代ライダーの中で一番でかい。
とんねるずの木梨さん(ノリちゃんのほう)が番組中で扮し、大人たちの本気と金との全力を注がれたこのライダーは
東映非公認のパロディドラマのキャラクターで、普通に怒られ案件なキャラだ。
当時私は子供だったので難しい事は分からないが、それなりにいろいろあったらしい。だって無断だもん。
私が最後に見たのは過去の放送セレクション的なコーナーだったと思う。
しかしふざけていたけど、結構まじめだったのだ。

そんな彼が「仮面ライダー」の本物に出演している。泣かずにいられようか。
「ライダーとして認められない者」として投獄されてはいるが、視聴者目線から行くと「公式作品に出演している」は
消費税10%の報せよりも大ニュースだ。
消費税なんか放っておいたらいくらでも上がるけど、ノリダーは放っておいたらそのままだ。
それも主人公がハっとするような事まで言ってくれる。本当に時の流れを感じる。
これが新しい時代なのか…ノリダーは、いっしょに令和に来てくれたのだ…公式はノリダーを令和に連れてきてくれたんだ…

ジオウが比較的、いや飛躍的にメタい演出や言動をする作品だからこそできた事だろうか。とにかく感謝した。
過去に公式のクレジットつきで放送されたこともあったらしいが、この調子でソフト化してほしい。
これをソフト化しないのは人類にとっての損失だと思う。こう言うと悪いかもしれないが、大人が本気を出してバカやってる姿ほど楽しいものはない。それなのだ。

そして続くライダー大集合のシーン、こちらにもまた爆弾が仕込まれていた。
仮面ライダーGが戦っている…あの…ワインのあの…わかる…?無傷のビルに遠慮なくおなまえ書いちゃうあの…
配信組も出てきた。うう、なんてこと。
あのライダーもあのライダーも、2号ライダーも、配信だけでも、公認でなくとも、皆が平成を駆け抜けた仮面ライダーなのだ。
彼らが戦ってくれたから、平成は守られていたのだ。同じ世界でなくとも、どこかで戦っていた戦士たちだ。
ライダー一人ひとりのピックアップ時間は短い。しかし確かにそこで戦っているのだ。
ジオウが戦うその傍で、街中で、2019年に平成の戦士たちが戦っている。
ショーのポスターから抜け出た斬月、単行本から「一条さん」というセリフで飛び出すクウガ、白黒にトーンで色を付けて駆け抜ける、二次元も三次元も、実在もフィクションもすべてライダーなのだ。概念。仮面ライダー概念(ガイムっぽいね)


知人にうめき声をLINEしたところ、「そう…全肯定なんだよ…」という旨の返事が返ってきた。
綺麗にきれいに整えようとして、人が歩んできた歴史や過去を簡単に消し去って平坦に何事もなくしようとする連中に対して、
主人公はすべてを肯定する。もちろん悪事はよくない。ただ、歪みも、いびつさも、間違いも、許されても許されなくても、
その存在やそれらがしたことを否定したりしない。それでいいんだ、それがあってこそなのだと言ってくれる。
これ、もう義務教育中に見せた方がよくない?男でも女でも関係ないよ。ニチアサを通った大人と通ってない大人をなんかこう、何かの統計を取ってほしい。自分でも何言ってるかわからんけど。

もうこれは、概念の話だ。ライダーはいつでもきみと一緒に居るとかそういう次元の話。
平成が醜かったり、平和でなかったり、みんながばらばらでも、みんなちがってみんないいのだ。
口には出すけど言うばかりになりがちであった道徳の根っこを発掘されてそれでビンタされたような気分だ。
それがあの線の細い笑顔の似合う青年から出てくるのだから、確かに彼以外に王など居ないと口走りそうになる。
ウォズと強い酒でも飲みながら「そうだそうだ」と言いたくなった(たぶんそういう流れでもキャラでもないね)

私の中のソフビ抱きしめおじさんはいつしか私と一体化し、私はボロ泣きした。
主人公もビジュアルも現代に即してはいるけど、仮面ライダーじゃん、これ仮面ライダーじゃん、
難しい事はよくわからなくなった。かっこいい物がかっこよく戦っているのにそんなに難しい考えとかいらないと思う。

ウオオオオ…!!!!ウオッ!?!!??!オオン…ウォォオオ…オオオオオオ!!!!!って感じ
ベルト大写し、さらなる返信、そして全員でのぶち抜き、ぱっと画面だけ見るとお笑いシーンだが、それは歴史なのだ…

DA PUMPの皆さんも結構出番があった。いつも軽快に楽しそうにしているイメージだったが、並ばれると子供泣いちゃうレベルの威圧感がある。
ウォズが入学直後のように見える。高校1年と3年の対格差のエグさのような…
っていうかパリピ曲ってこれのタイアップだったんですね!先に知らなくてよかったかも。
ライダー映画が絶対的な絶望とか悲劇オチってあんまりないと思うけど、タイアップを知ってたら「ハピエン確定じゃん」という心持になっていたと思うので…
公式のおさらいMADを見ながら、またノリダーの名前の下にあった英文で涙が…もう…正確には覚えてないけどさ…
ノリダーの事言いすぎじゃない?観たのジオウなんだけど


ロビーの椅子に座って入場スタンプを乾かしながらぼけーっとして観たものを反芻していた。
「なんかすごかった」の一言と、「そういえば響鬼のロゴだけ縦書きだったな。鎧武は横だったのにな」とか考えていた。

そして余韻に浸っている中、「仮面ライダージオウ、入場を開始します」のアナウンスが聞こえた。
一瞬迷った。が、特に見ない理由もなかったので2回目も観た。入場特典は被ったので観賞用とする。

観客ガチャには当たりはずれがあるが、キッズが多かった割にとても静かだった。そりゃそうだ、みんな推しを見に来てる。
同時上映の「リュウソウジャー」のEDにはダンスが付いていて、前の席のキッズたちがなかなかのキレをもって座席で踊り始めた。
騒ぎすぎず、暴れすぎず、踊っていた。画面でブラックの彼が長い手足を持て余しながら踊る姿はなかなかシュールだった。

映画館ではじっとしてろ、と普段なら思うが、私が子供でも踊っていたと思う。
時々、保護者が諫める声も聞こえてきたが、まあ言っても静かな座席から時々頭がぴこぴこと見える程度だったので気にならなかった。
「映画館ではしずかに」を守って踊っている以上はそれでいいと思った。
逆に、踊り出したくなるほどの衝動をよくその程度に抑えられていたものだと彼らの魂に感心した。


私たちが通ってきたように今は「彼らのもの」なのだ。彼らもまたそこを通過してどこかへ向かう。同じだ。
「彼らのもの」とは、これは大人は卒業しろ、とかもうダメ、とか、子供のものだから、とかそういうのではない。
自分たちのものだけど、彼らのものなのだ。この二つが同時に存在してはいけないという事はないのではなかろうか。

そうだな、私たちは特撮を好きな”大人”なのだ。かつては子供で、主役だった。今でもそうだが、役割が違う。
特撮は万人が楽しんでもいい。しかし私はもうそれを支える立場なのだ。
きっと私が子供のころも、買い支え、動員、そういった事をして支えていた大人たちが居たから楽しい時間を過ごせていたのだ。
それを忘れてはいけないな、ヒーローショーの前方は子供に譲らないとな、そう再度思った。
あ~~~大事にしねえとな~~~~子供たちが夢見る未来を、フィクションだろうと現実だろうと、
それを綺麗になんのひっかかりもなく整えようとする大人や、行く手を阻む悪い大人を、ぶっとばすぞ、でいかないとな~~~
1号ライダーは子供たち、私は2号ライダーの気持ちで行きたい(?)


思い立ち、もう少なくなりつつある物販へと財布を開けながら向かった。
子供たちの未来を守るために私ができる最短の最善、つまり公式へのお布施である。
ラバーキーホルダー、ウォズが出た。うれしい。金を払っただけでうれしくなれる。なんということでしょう。お金を払うと物がもらえる。これが貨幣価値…?

 

貴方も私も、あそこにもここにも、仮面ライダーは存在する。
仮面ライダーは正義だ。そして自分は仮面ライダーだ。でも自分は正義じゃない。
正義=自分ではないのだ。忘れちゃいけないことを確実に教えてくれる。
そして、正義の所在も教えてくれる。正義はそばにある。

何年経っても、大人になっても、「仮面ライダー」という概念、好きだなあ、と再確認したのであった。

 

 

…ウォズの話していい?
俳優キャリアが長いとは言えない彼、どこからあんな引き出しを…?
顔がいいしウォズ自身の自我と過ごしてきた時間を想うと胸がキュッとなった。以上です。