まだ屋根は残ってる
私はいま東京にいます。
超歌劇 幕末Rockを観るために
大阪公演4公演から、東京公演にやってきました
現時点(12/2)で前楽のチケットがないというのと、
11/30のソワレは番町ボーイズの公演を見に行ったので全通ではないんですけど
とにかく耐えきれなくてブログを書きに来た。
今回のライブはファイナルライブ
こんなにも望まれなくて、こんなにも嘘っぽいファイナルがあるだろうか
手元の未使用チケットの枚数が減って、それよりもちょっと短くなった観劇済みチケットが増えていって、悲しいのか、寂しいのか、通い詰めた達成感でもあるのか、よくわからない
もう昨日の地震も、連日のアイア通いで私のケツが痙攣してるだけかと思ったもん
いろんなジャンルがある。
なにか不祥事があった、時間の経過で衰退していった、もはや「懐かしい」とされてしまった、そんなジャンルたち
でも、幕末Rockは私を卒業でもさせようとしているのかとすら思う。
キャラクターに直接
「自分たちのことを忘れないで」「現実の世界でもがんばって」「みんなそれぞれの世界でがんばってる」「今は現実を忘れて」と語りかけられたのは初めてで、
この感覚は、舞台を完結作品とする、幕末Rockという大きな1つのメディアミックスを前提として生まれた生命体を前にしたからこそ生まれた感覚だろうなと思った
終わってほしくない
こんなに夢中になって、こんなに関係者、制作サイドが楽しそうなジャンルは見たことがない
支給品であろうと、照明さんや音声さんたちが法被まで着て、ペンライトまで入手して、なんなら上演中に笑い声も聞こえてくる
これはメディアミックスの、舞台作品だけど、私は本当に超魂團のファンだった。いや、ファンなんだよ。
上演が終わりに近づくと、どこかしらからすすり泣く声や、歓声に交じって涙声でキャラの名前を叫ぶ声が聞こえる。
私はまだ泣いていない。
ほぼ全通なので、どういう演出なのか、どういう展開なのか、セットリストもシークレット部分以外はもう把握してから観劇している。
今回は詳細なレポートは書けないと思う。
ツイッターで終演後にいくらかはつぶやいているので、それを元に書き起こすかもしれなけど、
とにかく、記録と記憶に躍起になるあまり必死さのベクトルが変わるのが嫌で、
毎公演、終演後に呆然として出てくるまで絶叫して、体力を使ってかえることにした。最高に楽しい。
オールスタンディングだった大阪公演。
それこそ冬なのに全身汗だくで脱水になりかけるほどに暴れた。
東京だって、シッティングではあるけど終わることには背中がヤバい。
私は、毎回泣くよりも毎回汗だくになって出てくるほうに水分を回した。
あと、これはその日1回しか見ることができない人を大事にしている舞台だと思う。
うまく言えない。
幕末Rockきっかけで、まともに働くようになったし、転職したし、違う土地で暮らしてみたりもしたし、割とちゃんと寝て、食べてをする生活になったし、沢山絵を描いて、知り合いもできて、とにかく一気に人生が楽しくなった。
今はもう人生の予定に死ぬという文字は出てこない
こんなに楽しいことがあって、死のうなんてもう思わん。
他のものに夢中になることはこれから先もあると思う。
でも、幕末Rockほど、もてる全てをぶつけて夢中になれた作品は後にも先にももう出てこないだろうなと思う。
こうやって書いていてなんか涙でてきたから、上演中はとにかくRockな絶大なパワーを浴び続けることで考えないようにしていたのかもしれん
高杉晋作役の糸川君も、ほんとうに、見にきてよかった、微々たるものだけど応援してきてよかった、ほんとうに
糸川君は注ぎ込んだ分だけ仕事で返してくれる役者さんだと思う。
何もかもが最高。これが集大成。でも終わってほしくない。
やだよ~~~~まだアイアの屋根ふっとばしてないじゃん~~~~
とにかく明日は千秋楽
泣いても笑っても千秋楽
あのアイア史上最強の、トチ狂ったやべえスピーカーから直撃で音を浴びて、爆発四散しようと思う
大丈夫、我らのソウルマルゲリータは激辛だから
終わらないでくれ幕末Rock 大好きだ
アイアの天井を音圧でふっとばして、続編をスタンディングでできる新しい劇場を作ろう。
とりあえず前楽のチケット並ぶわ
「甘くはないぜ」うろおぼえネタ集
このふがし、マジでぶつかっちゃって半分に折れたり、千秋楽で思
葉巻にもなる。
・案内人のコンボ、「モモヤマー」と空港で人探し。「歓迎」みた
・合流しだんごの荷物を持つよ~と好意的かとおもいきや、チップ
・チップを払わないとわかるや否や豪快にだんごの荷物を投げ捨て
・「オリベコンカイニドメノブタイダケドイキゴミハ
・「??
・「ヤバミ!」
とか現地の言葉のふりしてろくでもない事を言っている
・「アレなの?みんなウォークマンで音楽きくの?」「ウオ…?」
・「控室で…ぼくの知り合いの糸川ようじろうが、お母さんが来て
「それ投票前に言いなさいよ!」
「しまったしっぱいした…」
「クグロフ選手は?」
「俺の…知り合いの堂本翔平って人は控室でからあげたべてました
「からあげ」「からあげ食べて大丈夫なんですか」「大丈夫でぃ」
集計おわるぞ~ってときに王子が降りてきてちょっとおしゃべりす
拝啓、幕末Rock様
拝啓、幕末Rock様。
風の冷たさに秋の訪れを感じる今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。
私は初めて貴方に出会ってから二年、そろそろ三年になるかと思います。
原作という点では進展がない、こう言っては失礼だとは思いますが…
その中でもライブ、公式Twitterアカウントでのキャラクターの誕生日のお祝いイベント、公式サイトの誕生日キャラクターの一日ジャックなど、様々な企画を立てて下さり、本当にありがとうございます。
「次はあのキャラの誕生日だ。何時スタートかな」と、久々にカレンダーに誰かの誕生日を書きこんでその日を心待ちにするといった事をしたような気がします。
今となっては多少財布の工面に苦戦しつつも、楽しく過ごしている私ではありますが、
幕末Rockと出会う前は割と真剣に死ぬ事を考えていました。
自分なりに考えた進路に、やりたい事に対して父親に反対され、
「お前の人生失敗しているんだから」と、これまで過ごしてきた人生を一言で否定され、何故自分が生きてその時を過ごしているのかが分からなくなりました。
資料請求をし、進路相談も受け、自分なりに真剣に考えていたつもりではありましたが、なんせアルバイトをするにも制限が厳しく、家計を支える以外のアルバイトには許可が下りなかったり、発覚すれば退学や停学といった所でしたから、進学に対する蓄えなどありません。
今思うと出たからと言って就職先があるかどうかも分からない専門に送り出すというのは、新しい不良債権を抱えるだけのような事で、それが嫌だったのかもしれません。
自分が選んだはずの進路を否定され、散々に言われ、やってもいない、踏み入れてもいない先の事を踏み荒らされた上に、勢いで言ってしまったのだとしても人生を否定され、どうしたらいいのかわからなくなりました。
結局、大学進学を志望しました。
学力は足りず、模試も受けず塾にも行かず、画塾にも行きませんでした。どれもお金がかかりすぎるので最初から身の丈に合わなかったのかもしれないです。
それでも受かるラインの学校はありました。でも、わざと日本五美大のうちのひとつを受けました。
万が一合格したとして東京での生活費、諸経費、奨学金は通りましたが全額ではなく、画材購入費用、とても出せる金額では無い事は分かっていましたが、
大学を受けると聞いて満足したようで、それがどれだけ無謀な事なのかもわかって無かったみたいです。
それまでろくにやったことのないデッサン、生物画、制限時間のある中での制作、どれも必要なことでしたが、描く度に絵を描く事が嫌いになりました。
受験も出来る事はやりましたが、周囲を一度見回すだけでも歯が立たないということはよくわかりました。
最後の受験が終わると重たいだけの道具を抱えて中野までの電車に乗り、好きなアニメ作品の原画展を観に行きました。
絵を描かない時間は楽しかったです。
何を勉強したかったのかもわからなくなりました。
高校を卒業し、家にひきこもりました。
多少は外に出ましたが、何分浪人でもないただのニートなので持ち合わせがなく(履歴書を買う金も面接を受けにバスに乗る金も無かった)、
遊ぶ金をせびるにも遊びに行く先も相手もいませんでしたから、家に引きこもって映画、小説、アニメ、漫画、なんでも見漁りました。
デッサンも、油絵も、部活で出す部誌も、好きでやっていたはずの同人活動も、一度離れてみれば本当は楽しくなんてなかったのかもしれないとすら思いました。
自分は何にも一生けん命になった事が無いのではとも思いました。
実際、そうだと思います。
昔からずっと描いてきた絵が全部ゴミに見えて、半分以上捨てました。
誘われて参加したCG制作会社の講座のようなものは、閉鎖前日に突然メールで事業の倒産が通知され、当時のスタッフの皆様のご尽力で満期まで受けられこそしたものの、何も掴めないままでした。
入所費用を受け取った商売相手であるはずの生徒へ、前日にメール一通で告知というので人への不信感も増し、どうでもよくなりました。
やりたい事は見つかったか、夢とかないのか、と現役時代の進学チャンス、足がかりを潰した本人に言われ、家に居たく無くて継続のアルバイトをどうにか見つけてやってみましたが、次第に自分が何をしているのかがわからず、手持ちの現金を全て使い切ってから死ぬか、程度に考えていました。
とりあえず色々な死因を調べたり…何をやってるんだって感じです。
ヒマだったんでしょう多分。
当時のSNSを見ていると虚言や虚勢が多く、我ながら可哀想になります。
定期的な食事をする意味もわからなくなり始めていた頃、確か2014年の年末だったと思います。
詳しい事はぼんやりとしていますが、ニコニコ動画のトップページのランキングに、公式チャンネルのアニメ第1話があったのがきっかけの一つだと思います。
内容がジェットコースターすぎて意味が分からなくて、公式ページやPixivや色々な物を見ました。
全てに無関心に過ごしていたわけではありません。漫画やアニメを面白いとは感じていました。
その中でも久しぶりに大きく興味が向いた物でした。
年明けに帰省し、祖父に貰ったお年玉で衝動的にPSPを購入しました。
近く死ぬつもりで使いこんでいましたから、持ち合わせている金額で買える対応機種がPSPだったんです。
2014年秋あたりに続編シナリオ入りの「超魂」が発売されていると知り、ステラワースで新撰組の特典がついたパックを購入しました。
久々の待ち遠しさを感じながら荷物を受け取り、慣れないPSPを操作して、始めたらハマるのはすぐでした。
本編も、楽曲CDも、コミカライズも、何を見ても楽しかったです。
年明けすぐに声優さんの雷舞(らいぶ)DVDと、2.5次元舞台になったもののDVDが出ると聞き、いてもたっても居られずまだ出てもいない給料をアテにしてまで注文しました。
どちらも初めて買ったジャンルのDVDでした。毎日一回は見るという中毒性まで付いてきました。
ああ、生で見たかったな…とハマるのが遅かった事を悔やんでいたら、再演の告知が出ました。
超歌劇幕末Rockのために、友人に手配を手伝ってもらって大坂の梅田まで舞台を見るためだけに旅行しました。
そのちょっと手前になりますが、同人活動をまた始めました。
初めての東京、一般参加通り越していきなりのサークル参加。
友人に付き添ってもらっていたとはいえ、かなりの無茶をしたと思います。
描き散らかすのではなくひとつの形にまとめる楽しさを思い出しました。
あんなに短期間で多くの原稿を描いたのも、CLIP STUDIOという新しいツールに手を出して印刷所にまで入稿して、という手間をかけても惜しくないとおもうほど楽しかったのも久しぶりでした。
本を作るかどうか、迷っていた時に背中を押してくれる人も居ました。
ここ最近はお互い諸事情で会えてこそ居ませんが、お互いに同人誌制作はしていないものの、まだ毎日のようにやりとりをしたり荷物のやりとりのついでに地元の物をちょっと送りあうような間柄で居てくれています。
二人で一冊の本を作ったこともあり、自分の為に時間を使ってくれた様な人ですから、彼女の為に使うなら多少の手間も時間も惜しくないと思えます。
その後も何度かイベントへ出展して、コラボショップやリリースイベントや、キャストの一挙一動にはしゃいだりして、楽しい日々でした。
それから、友人を頼ってしばらく地元を離れて過ごして、現地で働いて…
そうだ、声優さんのライブにも行きました。初めての大きなライブだったかもしれません。
初めて横浜にも行きました。曇りで風も強かったですが、海が広く繋がっていて、赤レンガ倉庫は本当にただの倉庫だったので面白かったです。
風が吹きすさぶ中で爆笑しながらミネストローネを食べていました。
舞台なんてそれまで見た事なかったのに、主演の方のつながりで「さよならソルシエ」のチケットを取って観に行ったり…
幕末Rockの元ネタゆかりの土地めぐりを汗だくになりながらしてみたり、とにかくそれまでではありえないような行動を、とても広い範囲でしたような気がします。
2016年の、「黒船来航」でのキャスト変更の時は居候先で荒れに荒れ、友人に追いだされるんじゃないかというレベルで騒ぎもしましたが、
「見ずに悪く言うのは良くない」と、チケットを取り、観に行き、結局はRockの絶大なパワーの前では誰しもが全力にならざるを得ず、キャスト変更等些細なことなのだと、
誰が演じようと、誰が交代しようと、作品は変わる事なく、キャストさんも全力で期待に応えてくれるのだと思いました。
最終的にチケットは当初の予定より3枚増えました。
台風も来ていましたしチケット増やしに伴い飛行機の便も変更しましたが、それほど観たかったんです。
それから、地元に帰ってきて新しい仕事に就きました。
それまでの日々がとにかく楽しくて、その楽しい日々を続けたくて「働かなくては」と思い、飛び込みに近い形で今の職場に辿りつきました。
今では黒船来航で、私の中の解釈にあるものとぴったりと合う姿を見せてくれた、
高杉晋作役の糸川君に夢中になっています。
ここまで役者さんに入れこんだのは初めてです。
糸川君の所属する劇団の舞台に行くようになり、今では幕末Rockの半券の数よりもそちらの半券の方が多くなりました。
舞台の上にある事象は、一生に一度しかない、いくらDVDで記録されていても二度と肉眼で見る事は出来ないんだと思うと、それ以外でももっといろいろな事を体験しなくてはと思う様になりました。
美術館に行き、本屋に行き、水族館へ、動物園へ、恥ずかしながら洋服などを買いに多少はショッピングへも行くようになりました。
なんせひきこもり、意味の無い浪費と無気力の時代から突然離れた土地で暮らし、史跡巡り、舞台のための遠征までし出したのですから、出かける事がさほど苦痛ではなくなっていました。
もしかするといずれは今の様な趣味に落ち付いていたのかもしれませんが、
私がなんとか労働意欲を出し、きちんとした睡眠と食事、歯医者へ行き、散髪をし、財布の管理、遠征の為に衣服を購入し、三軒茶屋の飲み屋に行ってみたりコラボカラオケなんていうのに行ってみたり、友人とカラオケでキンブレを振り回してみたり、ネイルをしたりパックや化粧をするという事までできるようになった原因は、元をたどるとたった一本のゲームでした。
忙しくはありますが安息の地に辿りついたので、こころなしか胃腸の調子も良くなった気がします。
幕末Rockも永遠に稼働し続けるというのは不可能なのかもしれません。人の作ったもので、支えているのも人ですから。
発売から二年が経過して、約一年に一本、舞台作品が発表されて、少しずつ人が減っている気もしますが、その度に盛り上がる人達が居ます。
アニメは続編がありそうで出なくて、ゲームも幕末という内容上、もしかしたら続きは出ないのかもしれません。
それでもアプリを出してくれて、新曲が詰まったCDを出してくれて、
欲しいけど商品化されていなかったキャラのぬいぐるみも出してくれて、
フィギュアも出してくれて、舞台の続編も、キャラの誕生日をお祝いしてくれる事も、なにもかもが嬉しいです。
このままずっと生きていて欲しいです。
自分が他人と同じように踏めなかった段階や、過ごせなかった時間や積み重ねて来なかったものでできた穴を埋めているだけといえばそうです。
それは間違いではないです。ただの事実です。
まだ「お前の人生は失敗してる」と言われた事は私にブレーキをかけます。
自分は何をしても無駄で何もできず、何もうまく出来ない。
多分失敗している自覚があるんでしょう。
それと同時にあの日衝動的にでも親父を刺しておけばよかったと今でも思います。
でもそしたら今こうやって楽しく過ごせては居なかったので、刺さなくてよかったとも思います。
今でも将来の見通しややりたい事、夢はありません。
でも、生きているのが割と苦痛じゃなくなってきました。
寝るのが怖いと思う日もかなり減りました。
社会的には誰の役にも立ってませんし、居なくても構わない人間だというのは以前とは変わっていません。
それでも、幕末Rockのおかげで何かに夢中になって、当初の死ぬ予定から2年以上も先でまだ生きていて、今日もまた休憩時間にスケジュール帳とにらめっこをしながら出勤予定の確認をしたり、自分のメンテナンスに時間を使ったり、次の観劇の予定や手配を嬉々として考えているような人間になれました。
生き伸びてみたおかげで明日も楽しいです。
いろいろなきっかけが出来て、沢山の新しい手段を知り、沢山の外出や経験をしました。
幕末Rockの雷舞の先は作品がどうなるのか分からないですが、
幕末Rockがきっかけで出会った推しのおかげでまた舞台を観に行く予定が立ちそうです。
これは色々な物がない混ぜになった末にこの単語にまとまっただけなので、私以外には多分わからない事ですが、
明日が来るのが苦痛じゃないって、凄い事なんですよ。
幕末Rockありがとう。
色々と救われました。
幕末Rockに関わった全ての人がこれからの人生を楽しく過ごせますように。
推しが健やかに、自分の望む道を歩めますように。
私に非課税で安全な5000万円がある日突然振り込まれていますように。
難しいことは考えなくて良いです。ただRockを聞いて下さい。
幕末Rockはいいぞ。
スマホでもできるぞ。